東京都足立区大谷田にあります《宗教法人福寿院》は、寺院経営(宗教活動)を通じて、ご信仰の大切さを広めていきたいと考えております。

 

令和6年 年回表

 

法事のすすめ

法事のすすめ
 
客殿
法要とは故人の在りし日の姿を偲び、故人への恩に報い、徳に感謝し、親族はじめご親戚・知人・友人をお招きして行う行事です。佛教徒として日々の様々な行いに対して大きな功徳を積む事ができ、その行いに対してご本尊様より手向けられるご利益を、自らの祈る力により故人様、ご本尊様に対して手向る行為が供養として他に及んでいきます。
核家族が増える中、故人様が設けてくれた人と人とのご縁を大切にし、普段会う機会の少ない人々が集まり、お互いに絆を深め合うことのできる大切な行事です。
そして小さなお子様にも手を合わせることの大切さを教えることができ、教育としても、次の世代につなげて行くためにもきちんと執り行なっていく必要があります。
 
お袈裟と念珠
お袈裟と念珠は仏教徒の証であり、本来は常に身に着けていなければなりません。僧侶の正式なお袈裟は体を覆う大きい物で、人の体の右側は清浄、左側は不浄と言うインドの思想から来ています。佛様が身に着けているお袈裟と同じものを自らが左肩に身に着け、煩悩を絶つという役割があります。普段身に着けるお袈裟は輪袈裟と言い、身軽に首から下げるダイプです。念珠は元々佛教徒が、お釈迦様が覚りを開いた菩提樹の木にあやかって、その木で煩悩の数の玉を作り常に左手に持つようになった事が始まりです。それらをお守りとして常に左の手首に身に着けることが出来る腕輪タイプから、擦る事によりご祈念できる一尺以上ある正式な物まで様々です。本来は、お寺にお参りされる時には、身に着けてから山門をくぐります。お袈裟と念珠をお持ちの方は、ご法事のみならず、お参りされる時に常に身に着けて頂くと、より深い功徳が生まれます。
 

お塔婆供養

お塔婆供養
 
塔婆を建てて供養すべし
塔婆(とうば)または卒塔婆(そとうば)といい、語源はインドのサンスクリット語で「佛塔」を意味するストゥーパから来ています。法要で塔婆と呼んでいるのは墓地に建てられる板塔婆で、上部に切り込みがある長い板です。上部の切りこみには意味があり、上から順にキャ・カ・ラ・バ・ア【空・風・火・水・地】の五大又は五輪と呼び、裏はバン字【識】、識大(意識)を表わし六大になります。インドの古代思想が仏教の思想体系中に取り込まれて行き五大の思想が生まれており、万物は全てこの五大から構成されているとされ、密教になると物質以外を表わす識大を加えた六大として、生きとし生けるもの(全ての生命)から大宇宙までを表わすようになり、大宇宙の真理を構成する物質へと発展して行きました。その全てが繋がっているとされ、人が亡くなるとこの五大から構成される物質に還元されるとされています。五重の塔が【佛】として建立されているように、石塔(お墓)も塔婆と同様に五大を表わす五輪塔であり、六大として大宇宙の真理(如来)すなわち大日如来を表わします。五輪塔(塔婆・石塔)を建立する事は、大日如来(大宇宙の真理そのものを表わす絶対的中心本尊)を建立し信仰し仕える行いになり、大いなる功徳が生まれるのです。
 なぜ法要の時などに、お塔婆を建てるかというと、その大いなる功徳を生み出すことにより、その功徳を亡き故人の成仏(さらなる深い覚り)のために、自らが(住職と共に)祈る事により手向けることができるからであり、その行いを【供養】と呼ぶに他ならないからです。真言宗では故人への法事や、先祖供養の為に、(お彼岸・お盆・施餓鬼などにも)塔婆を建てることが故人へのこの上ない供養につながるとされています。塔婆は故人へに対す自らの「心の手紙」として、一人一人私たちの供養の心が故人へと手向けられ、功徳となってご回向されて行くのです。
 

故人が亡くなってから埋葬されるまで

故人が亡くなってから埋葬されるまで
 
仏教では、人が亡くなってすぐに死後の行き先がきまるわけではなく、通夜式・葬儀式を行わないと六道輪廻「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」の世界を永遠にさまよう事になります。その世界から解脱するために、通夜式で修行を積んだ住職が経を読むことにより仏の教えを授け、葬儀式で佛の位戒名を授けるのです。六道の世界は三界萬霊の欲の世界の中にあります。故人の行き先は、亡くなって葬儀を行ってから四十九日間の間に決まるとされており、この期間を中陰(ちゅういん)といいます。この期間が地獄で罪を償う期間になり、生死の苦界(六道)をさまよい続けるか世界に戻るか、苦界(六道)から解脱して佛として修業を積む世界になり、菩薩として旅立つことが出来るか、通夜式と葬儀式を行うか否かで決まって参ります。住職と故人の有縁の者(親族や友人等)がしっかりと供養を行う必要があり、責任は重大なのです。簡単に解脱できないと考えるため、たくさんの方々を招き盛大に供養を行ってきたのです。亡くなってから一週間ごとに七回の供養をするのが中陰法要といい、三途の川を渡る初七日忌法要は中陰に入る最初の大切な法要であり、「地獄」「餓鬼」「畜生」の世界を三悪道または三途といいます。三途とは言葉を持たない世界なので、自ら悟りを開く事が難しく、初七日のご本尊お不動様の教えとお力によってお救い頂くため三途の川を渡ると言うのです。二七日、三七日、四七日、五七日、六七日は現在は省略されることが殆どでありますが、この期間残された親族が喪に服すことにより功徳を手向け成仏を祈る事が大切とされ、その習慣が残っているのです。そして、行き先が決まるとされている四十九日忌法要までに「修羅」「人間」「天」の三善道から解脱し、ご本尊お薬師様の教えにより無病息災浄土の旅に旅立ちます。これを満中陰(まんちゅういん)もしくは忌明け(きあけ)といい、ご 先祖様と呼ばれる覚りの位に登られ、永遠の悟りの世界から有縁の者たちをご加護されるのです。四十九日忌法要は故人が成仏し、遺族が日常生活に戻る日として大切な法要で、省略することが出来ない法要になります。また、現在ではこの日に納骨式をすることが殆どで、安置されていた家の中の陰壇をかたづけ、白木の位牌から漆塗りの位牌に替え、遺影に付いていた花や、リボンをとります。故人の行き先が決まり遺族の悲しみも一区切りつく大切な日でもあるのです。
 
49日餅
四十九日餅は、49個の丸く形作くられたお餅です。宗派や、地域によって異なりますが、当山では四十九日忌法要に「四十九日餅」を供える風習が残っています。まだ土葬の頃は、葬儀が終わるとすぐに埋葬されたので、親族によって四十九日餅はその日の夕方に、寺の本堂の前にそっと置いて行かれました。この時、誰にも見られないように置いてい行ったそうです。これは、死者が中陰の間、地獄の針の筵(むしろ)で罪を償う際、鬼に身体中に針を打ち込まれてしまうので、四十九餅を作って寺に届けることで、故人の身代わりになり針が餅に刺さり苦痛を受けずにすむとされる所以です。他人に見られると鬼に気付かれてしまい、ご利益を手向けられなくなってしまうからです。また、四十九日間、佛の世界で修行を無事に積んで欲しいという願いから供えられて来ました。
日本はお正月にお餅をつき、神棚やお佛壇に供えたり、子供の誕生や成長を一升餅、背負い餅で祝い、建物の上棟の時はお餅を供えたり、まいてお祝いを致します。お餅は、人生の節目の大切な食文化として今も残っています。現在当山では、四十九日忌法要の時に埋葬される事が殆どなので、その法要の時につきたてのお餅を供えて頂いております。親族が故人の為に、佛の世界で四十九日間の修行が無事に終わり、先祖の位まで登る事を祈り供えます。この満中陰の四十九日忌法要が終わった後には、お施主様からこのお餅を、出来るだけ出席された方に配って頂いております。これを食べてもらうことで、功徳を皆で分け合う事が出来、より供養になるとされているからです。
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