お施餓鬼の由来は、不空訳 救抜焔口陀羅尼経 (くばつえんくだらにきょう)というお経にに説かれています。その教えによるとお釈迦様の十大弟子 多門第一の阿難尊者が、静かに座禅瞑想をしていると焔口(えんく)という痩せ衰えた餓鬼があらわれました。餓鬼は細い首と手足、口から焔(ほのう)を発し、阿難様に対して、「お前はあと3日で死ぬであろう。そして餓鬼道へ落ち私のような醜い姿になるのだ」と言いました。驚いた阿難様はお釈迦様に相談しました。するとお釈迦様は「恐れることはない。来世に餓鬼道を免れたいのなら、善根をなし功徳をつみ、布施の行をなすがよい。そして多くの餓鬼を救うのだ。」と諭されました。阿難様はお釈迦様の教えのとおり棚(施餓鬼壇)をもうけ、食物をお供えし、多くの修行僧に供養してもらいました。その結果供えた供物は無量のものになり餓鬼は救われ阿難様自身も八十八歳までの長寿を得て、後世の人々に佛教の教えをひろめることが出来、これが施餓鬼の起源とされています。一方で、盂蘭盆会(お盆)はお釈迦様の弟子の神通第一の目連尊者が、自分の母親が三界萬霊の欲の世界の中にある餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを自らの神通力で見通し、お釈迦様に相談したことに始まっています。餓鬼道に堕ちた母親は飢えにより無残な細い体になり、目連尊者が自らの神通力で食べ物を施しても、喉に通るとき焔(ほのお)に変わり苦しみ続けました。お釈迦様は、「7月15日に修行から戻ってくる仏・法・僧に帰依する僧侶たちに百味の飲食(おんじき)を供えて供養しなさい」と言われました。衆僧たちが広く餓鬼道に堕ちて苦しんでいる者たちを棚(施餓鬼壇)をもうけ供養して母親も救われました。それ以来お釈迦様に諭(さと)された目連尊者と佛弟子達は、餓鬼道に堕ちた七世の父母(亡くなった七代先までの両親)を十方の衆僧に施しをして餓鬼道を供養するようになりました。この二つの話が大変似通っているため、鎌倉時代から多くの寺院で盂蘭盆会の時期に施餓鬼が行われるように成りました。
この説話をよく読み解いてみると、私たちは両親の供養はもとより、七代先までの父母(ご先祖様)の中に十分にご供養がなされていない尊霊があると、自らに災いが降りかかってしまう事が分かります。最近は、一日葬や火葬炉の前だけの供養(直葬)などが増えているそうです。真言宗では、平安時代には教義が確立され、通夜式と葬儀式が行われておりましたので、このような供養では十分とは言えません。なき故人様に感謝しそのご恩に報いるためにも、通夜式、葬儀式を大切に考えて行わなければなりません。それが故人様の尊厳を守り、残された家族や親族の絆を守り深めることに繋がって行くのです。